★第9回鎌倉同人会講座「源氏物語の歴史と鎌倉の文化」講演会の報告     

    2018年7月21日(土)午後2時~4時 於:妙本寺書院   『源氏物語と鎌倉』(銀の鈴社刊)の著者である織田百合子
  氏を講師に、「源氏物語の歴史と鎌倉の文化」(鎌倉の公家文化をひもとく)というテーマで講演会を行いました。

    初めに、鎌倉同人会の齋藤俊英常務理事が鎌倉同人会のこれまでの活動と、妙本寺祖師堂前にある同人会の命名者、
  田邊新之助の漢詩碑を紹介。続いて、司会者からの講師紹介がありました。

   まず織田さんは『源氏物語』と『万葉集』について、「鎌倉には、『源氏物語』と『万葉集』という二大古典の貴重
  な知的遺産が制作される土壌があった」と、鎌倉の文化を歴史的事実と関係づけながら語ってくれました。

    織田さんは、『源氏物語』については、鎌倉在住の源光行・親行親子が『尾州家河内本源氏物語』のもとになる
 『河内本源氏物語』を写本したこと、『万葉集』については、妙本寺新釈迦堂に住持した仙覚が『西本願寺本万葉集』の
  もとになる『寛元本万葉集』を校訂したことを詳しく解説し、平家の王朝文化の影響と鎌倉の公家文化の関係をひもと
  いてくれました。

    織田さんは最後に、「紫式部は、『源氏物語』桐壷巻に、《朝夕の言ぐさに翼をならべ枝をかはさむと契らせたまひ
  しに》と書いているが、これは白楽天が《長恨歌》の中で、“七月七日の夜、誰もいない長生殿で、玄宗皇帝は楊貴妃に
  「比翼鳥」、「連理枝」であろうと囁いたことを引用して書いている。また、源親行が《河内本源氏物語》を完成させた
  のが、建長七年七月七日で、その時親行の胸に浮かんだのは、《長恨歌》と七夕のことであったであろう」と分析。

   世界に通用する『源氏物語』の文化が、武家政治の中心地・鎌倉にあったことを記念して、鎌倉市が【七夕は鎌倉の
  源氏物語に日】の制定をしたらどんなに素晴らしいかと、これはまだ私一人の思いに過ぎませんが、実現すればいいな
  と思っています」と締めくくりました。

         猛暑にもかかわらず、定員80名を超す参加者がありましたが、会場の妙本寺書院はクーラーが効いて涼しく、
  参加者全員、メモを取ったりしながら最後まで熱心に聞き入っていました。



                   



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