|
半年間続いた“コロナ禍緊急事態宣言”が解除された9月30日から3日後の10月3日(日)、
今年度3回目になる第20回鎌倉同人会講座が、会員限定で、鎌倉生涯学習センターで開かれました。
講師は、同人会の若手会員で鎌倉水彩画塾塾長の矢野元晴さんです。
会場“では消毒薬も準備し、”三密回避”で設営。7歳と4歳の子どもたちも含め、16名の参加を
いただきました。
まず、齋藤常任理事から、同人会の”コロナ禍”での取り組みのお話しがあり、講座参集についてお礼
の言葉がありました。
講師の矢野元晴さんは、建築デザイナーから鎌倉水彩画塾の塾長に変身して、活躍中の若手水彩画家
です。鎌倉生まれ・鎌倉育ちからの生い立ちから始まり、昆虫少年だった意外な一面も!
大学の建築デザイン学科卒業後は建築設計事務所に勤務するも、「商業芸術では自由なデザインを
描くことができなかった」と挫折を経験し26歳で退社。画家の道を志し、水彩印象画法で作品を描く
笠井一男氏に出会い、夜は警備員のアルバイトで生計を立て、何千枚もの絵を描いて技術を習得。
4年前に独立し、3年前には小町に鎌倉水彩画塾を開設。今や約400人の幅広い世代の塾生を抱え
にまで至ったお話をしていただきました。
画法については、「『水彩印象画法』というバルール(明暗)を活かした、日本では珍しい手法で
描いています。今まで日本の水彩は、色を淡くのせた淡彩画や、細部を描きこんだ細密画が主流でし
たが、世界の流れは明暗を活かしたドラマチックな雰囲気で魅せる印象画が主流です。主な作家には、
右近としこ先生、笠井一男先生、田辺恵子先生、永山裕子先生、醍醐芳晴先生などがいらっしゃいます。
しかし、まだまだ少数派。日本の水彩は海外に比べて50年遅れています。幕末に水彩画が日本に入り、
一時期流行しましたが、西洋文化の力強い油絵の勢力に負け、下火になってしまいました。そのため、
海外には水彩画のカリキュラムはあっても、日本の美大には水彩学科が存在しません。初心者でも手順
を 踏めば1時間ほどでドラマチックに描き上げられます。」と語りました。
この日の『同人会講座』のバック・グラウンドは、矢野さんが、平成最後の鎌倉の街並みを描いた
画集『水彩印象画~平成 鎌倉の記憶~』です。この『画集』への思いについて矢野さん「ますます観
光地化が進み、子どもの頃から見てきた鎌倉が失われつつある中で、自分の水彩画で文化性や精神性
までを表現し残しておきたい。地元で生まれ育ったのに知らない場所がたくさんあった。知り尽くして
いると思っていた自宅近くにも新たな発見があり驚きました。」
そしていよいよ、『画集』で描いた二箇所を題材に、参加者に説明しながら描いていただきました。
一枚目は、『画集』(80頁)の、「さあ 出発 - 鎌高前踏切」です。
①下書き
まず中央あたりに水平線を引く、次に……。
②ファースト・ウォッシュ
空は上から徐々に薄くし、雲は……。海は遠くから手前に向かって徐々に濃くしながら……。
③セカンド・ウォッシュ
江ノ電、空気感を出しながら……。
④描き込み
車、人物、架線、手すり、標識などを入れ……。
⑤仕上げ、完成
光っている所に白のハイライトを入れ……。
そして二枚目は、『画集』(58頁)の、「空はどこまでも - 長谷寺」です。下書きから、ファースト・
ウォッシュ、…………。
おしまいに、これからの抱負を語っていただきました。
「風景を描けば町への愛着が湧いてくる。一人でも多くの人が鎌倉を、湘南を、日本をあらためて見つめ
直し描いて好きになっていただければ…。」
「関わってくださった皆さんに感謝しながら、水彩画の力で鎌倉から日本中を元気にしていきたいと思い
ます。」
参加された皆さん、印象派のタッチで水彩画を描きながら、こんな絵が描けると良いな!と 思って
いただけたでしょうか。
|